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キングクリムゾンのデビュー

キングクリムゾンは、EGマネージメントと契約しいて、アイランドレコードからデビューを果たした。キングクリムゾンは69年4月に「スピーク・イージー」でデビュー・コンサートした後、7月には、ハイド・パークで行われたローリング・ストーンズの故ブライアン・ジョーンズ追悼公演のサポート・アクターとして、サード・イヤー・バンド等と共に出演して、圧倒的な好評を得た。その後、10月には、デビュー・アルバム「クリムゾン・キングの宮殿」を発表した。ビートルズの名作「アビー・ロード」を引きずりおろし。デビューアルバムにして、全英チャート・ナンバーワンの座を掴んだのである。ホールトーンスケールをなどを取り入れたロバート・フリップの正確なギターワーク、シンコペイション、他楽器とのユニゾンを多用した独特のドラミング聞かせるマイケル・ジャイルス、速く複雑なユニゾンをこなし、叙情的な曲でもツボを得たベースを弾き、官能的なボーカルを聞かせるグレッグ・レイク、管楽器とともにメロトロンを操るイアン・マクドナルドの4人の音楽世界はブリティッシュ・ロックに大きな衝撃を与えた。

中期のキングクリムゾン

キングクリムゾンは、セカンド・アルバムのために、新メンバーのオーディションが行われ、メル・コリンズ、アンディ・マックロック、ゴードン・ハスケルが加入して、第二期キングクリムゾンが編成された。実際のレコーディングは、マイケル・ジャイルス、イアン・マクドナルド、グレッグ・レイクを招いて、行われた。又、このレコーディングには前衛ジャズ・ピアニストのキース・ティペットの参加が大きな出来事であった。キースとロバートの友好な関係はその後も引き続き、3rd,4thアルバムへと引き続いていった。キースがいたから良いアルバムが製作することができたのである。キングクリムゾンの中期のライブはデビュー時のメンバーが大幅に変わったので、ライブの質は今ひとつの状態であった。やはり、オリジナル・メンバーのクオリイティーは高いものがあった。

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後期のキングクリムゾン

ビル・ブラッフォード、ジョン・ウエットン、デビット・クロス、ジェイミー・ミュアーによる後期キングクリムゾンは、深い洞察と自由な発想を起因する集団即興に方法論を打ち出し、中期の失敗を踏まえた慎重な人選によるグループである。後期キングクリムゾンが以前のキングクリムゾンと違うのは音楽的な面だけではない。ロバート・フリップの意識する対極的な静と動の配色は楽曲以上に楽器の配置、アーティストの性格に至る迄配置されている点であろう。まず、考えられるのはヴァイオリンの導入である。中域に特徴があり極端に歪んだファジーなギターが男性的であるならば、ヴァイオリンは非常に女性的あるといえよう。線が細く、高音域に特徴のある楽器は女性的な音として用いられていると言われる。キングクリムゾンにおける役割とそれらに多くの類似性があり応用されているようである。そのため、以前の時期のキングクリムゾンとは全く音の違うバンドとして活動を行っていた。キングクリムゾンは初期と後期が音楽性が高く面白いと言えると思う。

Copyright © 2008 キングクリムゾンは最高のバンドである